在宅医療に取り組むきっかけ
1999年12月頃、栃木市の行政マンから「大澤さんの薬局って、患者さんのお宅に訪問してお薬の管理をするサービスって出来ますか?」と聞かれた事が、そもそものきっかけで、在宅医療に取り組む事になりました。「出来ますか?」と聞かれたら「出来ます!」と答えるのが私の信条の一つで、その時も半分勢いで「出来ます!」と言ってしまったものの、実は心の中では「???」不安がいっぱいでした。しかし私の答えを真に受けた行政マンは「それは助かった、それでは、ちかく栃木市内に開業する在宅を主に行う医師を紹介しますね」と言って、今となっては日本の在宅医療の草分け的存在の医師、太田秀樹先生(医療法人アスムス理事長)と巡り合う事になりました。今思い返してみると、あの時、もし「やったことがありません」とか「出来ません」と答えていたら、私は今でも在宅医療に取り組んでいなかったかもしれません。
蔵の街コミュニティケア研究会の立ち上げ
2000年4月になると、前出の行政マンから「在宅医療を進めるために、栃木市内の多職種連携の会を立ち上げたいので、世話人になって欲しい」という依頼がありました。この会が「蔵の街コミュニティケア研究会(以下こみけん)」です。「こみけん」の立ち上げのための世話人会を開催するというので、行ってみると、太田秀樹先生を始め、栃木市内の社会福祉士、介護士、訪問介護事業者の所長、介護福祉専門学校の講師、工務店経営者、行政マンの7名(私を入れて8名)が集まっていました。これがいわゆる8人会というやつで、「こみけん」の初代世話人たちでした。そして、奇数月の第2月曜日に世話人会、偶数月の第2木曜日に例会を開催する事を決め、「こみけん」はスタートしました。