薬剤師取材

J-HOPリレー連載企画④
多職種連携「腹の見える関係性構築」
            を目指して
~蔵の街コミュニティケア研究会19年の歩み~

大澤光司先生 (株式会社メディカルグリーン代表取締役)

  • この記事をシェアする
  • この記事をツイートする
  • LINEでこの記事を送る
1983年東京薬科大学薬学部薬学科卒業、都内で3年間、薬局に勤務した後、1986年に栃木市内に大沢調剤薬局を開業した。現在は薬局の他、高齢者介護施設や子育て支援施設(小規模認可保育園)などを運営している。在宅医療には1999年から取り組みを始めた。2000年4月に、栃木市内の多職種連携を推進するための会である「蔵の街コミュニティケア研究会(通称こみけん)」の立ち上げに参画し、現在は同会の代表世話人を務めている。

在宅医療に取り組むきっかけ

1999年12月頃、栃木市の行政マンから「大澤さんの薬局って、患者さんのお宅に訪問してお薬の管理をするサービスって出来ますか?」と聞かれた事が、そもそものきっかけで、在宅医療に取り組む事になりました。「出来ますか?」と聞かれたら「出来ます!」と答えるのが私の信条の一つで、その時も半分勢いで「出来ます!」と言ってしまったものの、実は心の中では「???」不安がいっぱいでした。しかし私の答えを真に受けた行政マンは「それは助かった、それでは、ちかく栃木市内に開業する在宅を主に行う医師を紹介しますね」と言って、今となっては日本の在宅医療の草分け的存在の医師、太田秀樹先生(医療法人アスムス理事長)と巡り合う事になりました。今思い返してみると、あの時、もし「やったことがありません」とか「出来ません」と答えていたら、私は今でも在宅医療に取り組んでいなかったかもしれません。

蔵の街コミュニティケア研究会の立ち上げ

2000年4月になると、前出の行政マンから「在宅医療を進めるために、栃木市内の多職種連携の会を立ち上げたいので、世話人になって欲しい」という依頼がありました。この会が「蔵の街コミュニティケア研究会(以下こみけん)」です。「こみけん」の立ち上げのための世話人会を開催するというので、行ってみると、太田秀樹先生を始め、栃木市内の社会福祉士、介護士、訪問介護事業者の所長、介護福祉専門学校の講師、工務店経営者、行政マンの7名(私を入れて8名)が集まっていました。これがいわゆる8人会というやつで、「こみけん」の初代世話人たちでした。そして、奇数月の第2月曜日に世話人会、偶数月の第2木曜日に例会を開催する事を決め、「こみけん」はスタートしました。

こみけん設立の趣旨

  • この記事をシェアする
  • この記事をツイートする
  • LINEでこの記事を送る
アスヤクLABOの仲間になりませんか?

ご登録いただくと、すべてのコンテンツの閲覧・座談会の参加ができるほか、最新情報をメルマガでお届けします。

アスヤクIDに登録する

その他の「薬剤師取材」

この記事を読んだ方におすすめの記事

ページトップへ戻る