おがの薬局 管理薬剤師 町田一美(まちだ かずみ)先生
大学卒業後、地元秩父の医薬品卸企業に3年間勤務。その後、町立病院、民間病院にそれぞれ10年弱勤務し、その経験から在宅訪問に目を向け2011年に現在のおがの薬局に転職。コロナ禍における自宅引き籠りによる患者の状態変化を鑑みて、キッチンカーで地域への出動を開始。その取り組みは『第6回 みんなで選ぶ薬局アワード』において特別審査員賞を受賞する。(2023年1月取材)
地元を離れ、受験科目でなんとなく選んだ薬学部へ
生まれも育ちも秩父で、大学時代だけ地元を離れました。実家が建設業の会社を営んでいたため工学部に行くつもりだったのですが、とにかく物理が苦手で…(笑)。有機化学は好きだったこともあり、受験科目が自分に合っていた薬学部を選びました。
当時の薬学部は割とお嬢様の進学する学部だったこともあり、田舎から出てきてちょっと畑違いのところに来てしまったかも、という気持ちはありました。ただ、すぐに同じような境遇の友人もでき、幸い留年もせずにトントンと3年生まで進学できましたので「もうやるしかないな」と腹を据えました。
秩父には帰ってきたかったのですが、希望就職先の病院にはタイミング悪く入れず、結婚までの腰掛け気分で薬局と卸をやっている地元の会社に就職しました。そこで3年間働いて調剤とOTCの業務をしましたが、元々調剤だけではなく色々と勉強をしていきたい気持ちがありましたので町立の病院に転職することに。町立の病院では様々な業務はできたのですが、公立という点で少し窮屈だなと感じることもあり、その後民間の病院に転職しました。
病院勤務で実感した
多職種との関わりや患者の生活環境の大切さ
町立の病院のときに、当時の「新100点業務」の新設もあり病棟業務を行うようにもなったのですが、自分がいざ患者さんと向き合ったときに、きちんと聞けない・話せないということに直面しました。そんなとき、管理栄養士さんがすごく上手に患者さんとお話をしていたので伺ってみたら、「カウンセラーの勉強をしている」ということでしたので、私も一緒に勉強させてもらうようになりました。当時はようやく薬剤師が人前に出始めたころでしたので、周りからは「薬剤師がなんで?」と突拍子もないことに見えたかもしれませんね。ただ、勉強をすることで自分自身も変われたのと、先生や一緒に学ぶ仲間などに恵まれていい影響をいただけたと思います。カウンセラーの資格も取り、人と話をすること、人の話を聞くことが好きになって、「自分は人間が好きなんだな」と感じるようにもなりました。
次に勤めた民間の病院は療養病棟があるところで、慢性期の患者さんもいました。病院にいる間は病気がよくなるのですが、退院して自身の生活の場に戻るとまた悪くなって戻ってくる……そういうこともあり、病院という場は平常の空間ではないのだなと思うようになりました。
また療養病棟は“マルメ”だったこともあり減薬に努めていたのですが、そうすると薬を多く飲んでいたときよりもみなさん元気になるんですよね。そこに目覚めてしまって、医師や栄養士やリハ職など多職種と連携して減薬に取り組んで学会で発表したりもしていました。ただ、やはり病院が一時的な治療の場になってしまうのではなく、病気と上手くつきあっていけるよう患者さんの生活環境を整えることが大事なのだということに意識が向くようになり、「在宅訪問をやりたい」と思い、薬局へと転職しました。