前回のコラムは、漢方のおはなしは『壮大な喩え話』と考えてみるのはどう??という内容で書かせていただきました。
今回は、漢方の勉強を始めた頃にぶち当たった壁のおはなしを書いてみようと思います。
僕は、草が薬になるのが不思議で、その理由が知りたくて薬学部を目指しました。
当初は研究者になりたくて「もしかしたら、自分が行った研究で雑草が薬草にランクアップさせれるかもしれん!」と夢を膨らませていました。
が、大学院は半年で中退したので研究の道は諦めて、現在に至ります。
学部生の頃、指導教員の先生に連れられて、今勤めている薬局で漢方実習を受けたのが中医学を勉強し始めるきっかけです。
始めた頃は「漢方の本を読んだり、講義を聴いてもよう分からんけぇ。(岡山弁)」という壁に何度も何度もぶち当たりました。
今回の記事が、同じように壁にぶち当たっている方のお役に立てたら嬉しいです。
では、何が原因で壁にぶち当たっていたのか。
それは漢方の独特な理論よりも、本や講義で使われている「ことば」のイメージでした。
焦らずに、漢方の「ことば」に慣れること
漢方に出てくる一つ一つの理論は、独特ですがシンプルです。
たとえば、漢方の勉強をすると必ず耳にする「気血水」の理論。
体の状態をはかる“モノサシ”のような理論の一つです。
この理論のザックリとしたイメージは…
「ヒトのからだは気・血・水の三つの要素で出来ていて、それらが過不足なく十分にあって、からだの隅々までスムーズに巡っている。」
これが正常な状態です。