望診の続きのおはなしを書いていこうと思います。
望診では、自分の眼で患者さんの「神・色・形・態を観察する。」と説明されます。
今回は「神」を観察する、「望神(ぼうしん)」について書いていきます。
まずは一歩間違えたら怪しさ満点になりそうな「神」を、昔の人たちはどういった概念として扱っているかを紹介します。
神がたくさん出てきますが、宗教の勧誘やセミナーではありません。
最後に「この壺を買えば、あなたも漢方をマスターできるように…」なんて話も出てきませんので、ご安心ください。
広義・狭義の神について
神
①広義の神
人間が生きている状態そのもの
人間の生理活動や病理変化が象徴的に外部に反映されたもので、生体の生命活動を大きくまとめたもの。
話す、食べる、見る、歩く、考える、眠るなど、人間が“生きている”ことを表す全ての現象のこと。
②狭義の神
人間の意識や精神活動のこと
心が主る神志(しんし)のこと。
神志は神明(しんめい)と表現されることもあります。
これは人の意識・精神・感情・記憶・睡眠・知的活動などを指しています。
広義・狭義と分けられていますが、スパッとキレイに区別できる訳ではなく、その境界は曖昧です。
精神的・心理的な部分の人間の営みと、それに伴って生み出される言動も神を通じて現れているとされています。
例えば、通勤・通学の途中に季節のお花が咲いていたとします。
「咲いてる花を見る」この時、もうあなたの神は働いていることになります。
そして「キレイなお花だなぁ」と思ったなら、それも神の働きです。
「どんないい香りがするのか、香りをかいでみよう」と行動するのも神の働きに含まれていますし、「いい香りだなぁ」と感じるのも神の働きということになります。
僕が初めて神について学んだ時、『生きている証(あかし)』になるようなことは神の働きといったイメージを持ちました。